春の訪れとともに、あるいは夏の夕暮れ時、窓や玄関の周りに、まるで黒い雲のように小さな虫の大群が押し寄せてくる。この、多くの人が「蚊柱」と呼ぶ現象の主役こそ、「ユスリカ」です。彼らは、時に数万、数十万という信じられないほどの数で一斉に羽化し、私たちの生活空間を文字通り埋め尽くす「大量発生」を引き起こします。まず理解しておくべきは、ユスリカは蚊に似ていますが、全く異なる昆虫であるという点です。最も重要な違いとして、ユスリカは人を刺したり、血を吸ったりすることはありません。成虫の口は退化しており、交尾と産卵という子孫を残すためだけの、数日間の短い命を全うします。では、なぜ人を刺さない無害な虫が、これほどまでに「不快害虫」として嫌われるのでしょうか。その理由は、まさにその圧倒的な「数」にあります。おびただしい数の大群が、家の壁や窓を埋め尽くす光景は、生理的な嫌悪感を抱かせるのに十分です。また、彼らは光に集まる習性があるため、夜になると照明に群がり、窓や網戸にびっしりと張り付き、日常生活に直接的な支障をきたします。しかし、ユスリカの大量発生がもたらす本当の脅威は、それだけではありません。短い寿命を終えたユスリカの死骸が、ベランダや玄関先に積もり、乾燥して砕け、空気中に舞い上がると、アレルギー性鼻炎や気管支喘息といったアレルギー疾患の原因(アレルゲン)になることが知られているのです。ユスリカは、直接的な危害を加えない代わりに、その圧倒的な数によって、私たちの生活環境と健康を静かに、しかし確実に脅かす存在なのです。